聖ペトロ・パウロ労働宣教会 (MOPP) を紹介します.
使徒的生活の宣教会
このページを読んでいるあなたは,イエス・キリストのことを知らないままに,彼が来るのを待っているのかもしれません.そのようなあなたに,イエス・キリストは誰であるか,そして,彼はどのような良い知らせ(福音)をわたしたちに教えてくれたのかを告げ知らせるために,聖ペトロ・パウロ労働宣教会
(Mission ouvrière saints Pierre et Paul : MOPP) は設立されました.その使命は,神の愛の神秘を感じ取れるものにし,神の慈悲について証言することです.神は,わたしたちを愛してくださっています.それは,つきなみなことではありません.この福音を,絶えず,力強く告げ知らせましょう.
この無償の宣教を担うのは,イエス・キリストの弟子であるわたしたちです.わたしたちは,この世で過ごす人生を主に献げ,兄弟愛に生き,つつましい住まいに住み,財産を共有し,みずから労働することによって生計を立てています.
わたしたちは,自分自身の力で宣教するのではありません.わたしたちは弱い存在です.それに対して,イエスは言います:「だが,あなたたちは聖霊の力を受ける.聖霊は,あなたたちへ下ってくる」(使徒言行録
1,8).こうして勇気づけられて,わたしたちは,聖パウロと共にこう言うことができます:「もしわたしが福音を告げ知らさないなら,わたしに災いあれ」(第一コリント書簡
9,16).
信仰の確信と証言
わたしたちの宣教会に与えられた信仰と統一は,使徒ペトロの信仰と使徒パウロの証言とに由来しています.パウロは,エジプトから脱出する際のモーセについてこう言っています:「不可視のものを見る者として,彼は辛抱した」(ヘブライ書簡
11,27).使徒である者についても同様です.彼は,モーセにならって,不可視なる方へ人々を導くよう努めます.彼にその方が見えているわけではなく,彼はその方を知っているわけでもありません.彼は信じているのです.使徒の根本的な確信が生ずるのは,イエスのこの言葉:「わたしから離れては,あなたたちは何も為し得ない」(ヨハネ
15,5)と,パウロのこの答え:「わたしを強めてくださる方のなかにいれば,わたしは何でもできます」(フィリポイ書簡 4,13)とからです.神から使わされる者は,この「何もできない」と「何でもできる」を経験します.
また,使徒である者は,神の母の庇護のもとにいます.神の母,乙女マリアは,主から告げられたことの成就を信じました.使徒は,マリア様を「小さき者らと貧しき者らの聖母」と呼んで,祈ります.
創立者ジャック・レーヴ
ジャック・レーヴ(Jacques Loew, 1908年8月31日生まれ,フランスのクレルモン・フェラン出身)は,1955年にわたしたちの宣教会を創立しました.
24歳のときに経験した回心に基づいて,そして,与えられた恵みをより広く分かち合うために,彼は,1969年,スイスのフリブールに信仰学校 (l’École
de la Foi) を創立しました.1982年,より観想的な生活を送るために,修道院に隠遁しました.そして,1999年2月14日,フランス南西部,アキテーヌ地方の村,エシュルニャックの修道院で,天の御父のもとに帰りました.
ジャック・レーヴは,大学で法律を勉強し,弁護士になりました.しかし,26歳でドメニコ会の修道見習いとなり,1939年,31歳のとき司祭に叙階されました.
1941年,ドメニコ会のルイジョゼフ・ルブレ神父が創立した研究機関「経済と人道」によりマルセイユに派遣され,港湾労働者たちの労働条件を調査し始めました.ジャック・レーヴは,彼らの実情を内側から知るため,みずから港湾労働者として働き,彼らが暮らす地区で生活しました.彼は,1945年までそうし続けました.
港湾労働者たちの貧困の原因と,より人間的な社会的・経済的生活のために必要な対策とをすぐさま見出したジャック・レーヴは,1943年に港湾労働者についての最初の研究を発表しました.
また,ジャック・レーヴは,港湾労働者たちの最大の貧しさは彼らが神を知らないことに存すると気づきました.神を知らないことは負傷しているようなものだ,と彼には思われました.
ジャック・レーヴの港湾労働者としての経験は,『プロレタリアのもとへ使わされて』(1946年)という本のなかで語られています.
1945年,マルセイユ司教ジャン・ドレーは,ジャック・レーヴとほかの幾人かの司祭に,サン・ルイ地区とラ・カビュセル地区の小教区の司牧をまかせ,彼らはマルセイユ宣教会を創立しました.それは,1954年まで成功裡に活動を続けました.そのときの経験を,ジャック・レーヴは『労働宣教日記』(1959年)のなかで語っています.
それらの経験に力づけられて,ジャック・レーヴは,1955年,マルセイユから遠くない港町ポール・ド・ブックで,聖ペトロ・パウロ労働宣教会を創立しました.それは,翌年,エクサンプロヴァンス地域のカトリック教会によって公認されました.1965年には,第二ヴァチカン公会議において,修道者聖省によって,使徒的修道会の名称のもとに承認されました.また,同じく1965年,エクサンプロヴァンス大司教ド・プロヴァンシェールによって,司教区公認修道会に認定されました.
1996年,三十年の活動を経て,聖ペトロ・パウロ労働宣教会は,ローザンヌ・ジュネーヴ・フリブール司教アメデ・グラーブの庇護のもとへ移されました.グラーブ司教は,聖ペトロ・パウロ労働宣教会が教会法に則った使徒的生活の宣教会であること,そのメンバーたちは福音宣教者の職を有することを認定しました.
わたしたちの生き方
わたしたちの宣教会のメンバーは,こう生きています:日常生活の緊張と渦のなかに身を浸しつつも,イェスの福音と,それを準備している聖書全体と,それに続く歴史とに従って生きること.かくして,イェスの福音は救いの源であることが啓かされます.イェスの福音は,わたしたちの歩みを照らす光になります.イェスの福音は,人生に意味を与えてくれます.聖霊に従って生きるためには,目覚めていることが必要です.力が必要です.そのような生き方の実行が可能になるのは,そのための手段を,主を崇め,主に祈ることによって得るときだけです.聖霊に従う生活には,深い探求を要する問いと,そのような問いに対する適切な答えとが含まれています.わたしたちは,共同生活をふりかえりながら,日常生活の出来事を分かち合い,神の意志に従うための良い道を見出します.各人が兄弟たちに支えられて,謙虚さのうちに,正しい生き方を見つける手助けをしてもらいます.こうして,生活を正し,人生の美しさを喜べるようになるよう,適切な生き方が見出されます.
わたしたちの宣教職
福音宣教者の第一の職務は,キリストの名において生きることです.つまり,「主イェスによって父なる神へ感謝しつつ,主イェスの名において」生き(コロサイ書簡
3,17),主イェスとの交わりにおいて生きることです.このような宣教のしかたは,御ことばの単純な伝達を越えています.それは,信仰箇条全体を含みます.最初のキリスト教徒たちの信仰箇条
(κήρυγμα) も,既に回心した者たちに教えられる教理 (κατηχισμός) も,そこに含まれます.また,兄弟どうしの交わり (κοινωνία)
と奉仕 (διακονία) も前提されています.福音宣教者は,使徒として生きます.わたしたちの宣教会のメンバーは,目を覚ましていなければなりません.そして,キリストの求めに応じて,使徒たちにならってキリストに付き従うために,すべてを捨てる用意が常にできていなければなりません.聖パウロも言っています:「わたしがキリストに倣っているように,あなたたちはわたしに倣いなさい」(第一コリント書簡
11,1).
優先されること
わたしたちの宣教会のメンバーは,兄弟どうしとして,グループないし共同体を作って生活し,日常的な関心事や課題を分かち合っています.日常生活の緊張のなかで雄弁な愛の徴となる相互理解を探し求めつつ,共同生活のなかで愛と慈しみを学びます.神の愛を共に生きることは,福音を証言するひとつのしかたです.兄弟どうしの共同生活のなかで,各人が各々の職務に応じて教会に奉仕するために供する固有のカリスマが現れてきます.
宣教会が使わされるところに,教会は,聖ペトロと彼の後継者との交わりにおいて生きています.教会の生活は,新たな信徒たちを信仰共同体へ結びつけ,教会という母胎のなかへ徐々に導入して行きます.新たな信徒たちは,感謝の気持ちと聖霊の朗らかな冷醒さとのうちに生きるよう招かれます.彼らもまた,このことを証言し得るようになりますように:「わたしたちが聞いたこと,自分の目で見たことをあなたたちに告げ知らせるのは,あなたたちもわたしたちとの交わりに入るようになるためです.そして,わたしたちの交わりは,御父との交わりであり,かつ,御子イェス・キリストとの交わりです」(第一ヨハネ書簡
1, 1 et 3).
わたしたちの活動の場
「自分の姿に目がくらんだ世界のなかで,わたしたちは,もうひとつの他の世界の証人です」と,ジャック・レーヴは言っています.わたしたちの宣教会が使徒的任務を生きるのは,教会や修道院の外で,労働者たちのただなかでです.わたしたちにとっては,社会学的な隔壁も,その他の障壁もありません.わたしたちの任務は,ふたつの語に要約されます:分かち合うこと,そして,結びつけること.神の命を分かち合うこと,人間たちの生を分かち合うこと,どちらも可能な限り全的に.人間たちを結びつけること,人間たちをイェス・キリストにおいて神へ結びつけること.イェス・キリストは,「インマヌエル:神はわたしたちと共に」であり,「ちりぢりになった神の子らをひとつに集めるために」(ヨハネ福音書
11,52),神意によって生まれ,そして死んだのです.
キリスト教が知られていない社会,または,キリスト教を忘れてしまった環境のなかで,わたしたちの宣教会は生活し,労働しています.わたしたちは常に,最も伝統的な司牧においても,ふたつのことを心がけています:福音宣教という目標を保持すること,そして,教会を,主によって心を触れられた人々すべての家庭にすること.